【第18回】今泉力哉監督の〝最高傑作〟。映画「街の上で」

【第18回】今泉力哉監督の〝最高傑作〟。映画「街の上で」


 こんにちは。映画・ドラマをこよなく愛する、入社2年目のNです。

 今回は、筆者お気に入りの映画「街の上で」(2021)を通して、映画監督・今泉力哉さんの魅力を紹介していきたい。

 

今泉監督は、「愛がなんだ」(2019)や「ちひろさん」(2023)などで話題を呼び、10月6日には最新作「アンダーカレント」の公開も控えている恋愛映画の名手だ。

 そんな今泉監督の最高傑作と呼び声も高い「街の上で」は、下北沢を舞台に、1人の青年と4人の女性たちの出会いを描いた恋愛群像劇だ。


 『誰も見ることはないけど、確かにここに存在している』-。

冒頭で語られるこのセリフをテーマとして、物語が繰り広げられていく。


 今泉作品の魅力をひと言で表すのであれば、良い意味で商業的ではない、という点にある。

 

誰もが知っている街、誰もが経験するであろう恋愛を、リアル、かつ繊細に切り取り、それをスクリーンに映し出す。

〝地球最後の日、60億の明日はたった14人に託された〟みたいなスケールの大きい設定はないし、〝デロリアンに乗り込んだらタイムスリップしてしまった〟みたいな大事件も起きない。

その点において、好みが分かれる作品であるのかもしれない。

それでも筆者は、今泉作品のなかで流れていく〝何気ない日常〟に惹きつけられ、ときめいてしまうのだ。


 
 なぜ、今泉監督が映し出す恋愛劇は多くの人から支持されるのか。

筆者は、今泉監督の特殊な「撮り方」に注目してみた。

 

「街の上で」のあるシーンで、男女2人が部屋で向かい合い10分間会話をするシーンがある。

普通の映画であれば、途中で画角を変えそれぞれの顔をアップにしたり、テンポ感を出すためにカット数を増やしたりする。

しかし、今泉監督はこのシーンにおいて2人の会話劇を定点のカメラワークで10分間長回しするのだ。

斬新でありつつも、セリフや俳優の演技によってはリスクもある手法だろう。

それにも関わらず、会話のなかに生じるリアルな〝間〟や〝気まずさ〟みたいなものを克明に映し出すことに成功している。

この魔法こそが、今泉作品の醍醐味であり、日常を切り取るという技術なのだと考える。

 

 さて、冒頭にある『誰も見ることはないけど、確かにここに存在している』という、「街の上で」のテーマ。

 

物語のなかで、主人公が映画に出演するもカットされてしまうシーンや、留守電に残された亡き人の声を聞くシーンなど、変わりゆく下北沢の舞台で、〝隠れた存在の肯定〟を訴えるシーンが、この映画には多く散りばめられている。

今泉監督は、今はないけどかつて存在していたものや、スポットが当たらずとも輝いているものを、特に大切にしているのではないだろうか。
 


 このコラムも、デイリースポーツまるしぇが脚光を浴びるその日までは、芽が出ずに土の中でくすぶっているかもしれない..。


 でも、『確かにここに存在している』のだ。